平和について

原水爆禁止世界大会長崎からの報告

                                                     

                                                                                                            (2001/9/2)
 「核兵器廃絶の約束」の実行を核保有国に求めよう―国際協力と連帯で希望のある世界を!―をメインテーマに原水爆禁止世界大会が8月3日から開かれました。今回初めて娘(中1)とともに8月7日からの長崎大会に参加しました。

開会総会には海外代表も含め全国から6500名が参加。手作りの横断幕あり、核兵器廃絶のスローガンを書き記したゼッケンや帽子を着用した人あり、和やかな中にもこの大会に集まった方々の熱気が感じられました。会場を見渡せば、平和行進で立ち寄った全国の自治体のメッセージリボンが観客席をぐるりと取り囲みそれは圧巻でした。埼玉県からは238名の参加者がありました。
  総会では「国際会議宣言」が安斉起草委員長から提示され拍手を持って採択されました。全文については割愛しますが、核廃絶のための根本的な処方箋が記され、緊急行動の提起として

        核兵器廃絶・全面禁止条約のための交渉をただちに開始するための運動
          に取り組むこと

        世界は変わる。変える主体は自分自身と自覚し具体的な運動の中で共同の
          輪を広げていく

  
  がされました。また「―核兵器廃絶をどう達成するか―」政府代表、世界のヒバクシャからの発言がありました。中でも南アフリカ共和国駐日大使とマレーシア国連大使の発言に、核兵器廃絶が実現可能であると改めて意を強く持ちました。南アフリカ共和国は1990年代の民主改革のなかで所有していた核兵器を歴史上初めて廃棄した国であり、核不拡散条約に加盟し地球上から大量殺りく兵器を無くすため同じ方向をめざす国々、人々と共同して国際社会の中で積極的役割を果たしています。マレーシアは国際司法裁判所の勧告(核兵器の威嚇や使用は一般的に国際法に違反する)を支持し核兵器に固執する国、追従する同盟国の反対にあっても国連の中でその決議案を毅然として提案し続けています。

  国境を超え平和運動に取り組んでいるNGOの代表、原発や核実験による世界のヒバクシャからの連帯の挨拶もありました。草の根の運動として地域での地道で息の長い活動の実践報告もありました。「国際会議宣言」の末尾に記されていますが、草の根の反核平和運動とNGOの責務の大きさ、また核大国の横暴に反対し、道理ある外交努力を続ける諸国政府(新アジェンダ)との協力の大切さを数々の発言が裏づけていました。
   総会終了後、宿舎で吉野団長の「この世界大会の大きな特徴として、かつてないほど多数の各国の駐日大使、国連大使が参加していること、日本の被爆者だけではなく世界のヒバクシャが参加し発言していることは、この運動が、NGOとして大きな影響力と行動力を持つことを世界が認めたのだ」とのことばを実感しました。
  2日目の分科会は娘は「動く分科会・少年少女のつどい」、私は第4分科会「学習と交流―原水爆禁止運動と核兵器廃絶の展望―」に参加しました。安斉立命館大学教授を講師にスライドを交え、核兵器をめぐる動きや核兵器廃絶の展望について基本的なところから学びました。
  広島・長崎に落とされた原水爆の規模や影響、作用、被害の実態。1946年以降、核保有国によって繰り返される核実験で被爆した新たな世界の被爆者の状況などが科学者の目で語られました。
 「核兵器のない世界を」が国際世論の上でも国際政治の場でも大きなうねり・流れとなってきているのに反し、自国の利益を第1に、「明確な約束」を踏みにじるアメリカの危険な核政策、それを追従する日本。日本の核政策はというと

       広島長崎への原爆投下は国際法違反とはいいきれない。したがって被爆者
          の面倒見る必要がないという合理化。

      自衛のための最小限度を超えない限り核兵器を持っても使っても憲法違反で
          はない。

      非核三原則は法制化する必要ない。非核自治体運動はそぐわない。
  
『唯一の被爆国である日本の核政策が、「核兵器を含む軍事力が平和と安全に寄与している」という核抑止論に立ち、将来核兵器を持つためのフリーハンドの布石であること。そのことは、日米軍事同盟のもとで100以上の米軍基地がおかれている日本をさらに本格的な軍事行動に組み込もうとする動きであり、その延長線上に「教科書問題」があり、日本を再び危険な道に導こうとしていることである。』

  断片的な知識はあったのですが、安斉先生の解説でジグソーパズルをはめ込むように一連の流れがよくわかりました。
   軍事均衡論でも核抑止論ましてサッチャー政権
時代のイギリスの「防護して生きのびよ」ではな
く、核兵器の脅威を一掃してこそ世界の安全も人
類の未来も確かなものにすることができるしその
展望はあると確信できました。

   被爆者からは自らの被爆体験が語られるととも
に、被爆後56年が経ち、被爆者が高齢化し、年
少時の被爆者は当時の記憶の薄弱などから、原爆
にあいながらそのことを証明する手段がなく被爆
手帳が手に入らない状況があること、政治に関心
をもって欲しいとの訴えがありました。分科会参
加者からは教科書問題についての発言が多く、父
母や良識ある多くの住民、民主団体と共同で「新
しい歴史教科書」を不採択にさせた栃木県の障害
児学級の先生の体験談、この歴史教科書は、「自分で考える」「自分で見つける」ことを否定し、養護学校だったら導入しやすいと戦争賛美を教育の場に持ち込む実績作りに利用していると怒りを込めて発言する東京都教組の先生の姿がありました。何年(何十年)もの間6・9運動や署名活動、平和行進に参加し「核廃絶は長い道のりだが色々な人が様々な活動の中で地道な運動を続けていくことが成果につながっていると確信がもてたと草の根の活動報告もありました。安斉先生からは、長崎の被爆で亡くなった7万人という数字を実感するため同じ数の顔写真を雑誌から切抜き、模造紙に貼り付けていくというユニークな試みの紹介や高校生たちが文化祭で行った自分たちの住む町の大人たちへの非核三原則についての聞き取り調査の取り組みなどアイデアを出し合いながら平和運動を進めていくことも大切なこととのアドバイスもありました。

娘は小グループに別れフィールドワーク(爆心地をまわり説明を聞く)や、被爆者から被爆体験を聞き、お昼は戦争当時の食べ物「すいとん」を味わったようです。「すいとん」は味もしないし、ぱさぱさした小麦粉の団子と葉っぱが少し浮いているだけで「ちょーまずかった」そうですが、メモ用紙何枚にもわたってその日聞き取ってきたことが書いてあり、感じることが多かったようです。

被爆者や戦争体験者も高齢化し、もしかするとこの子達がその方たちの生の声を聞く最後の世代になってしまうのではとの懸念があります。本の中の知識だけでなく、事実を知り、追体験をし、歴史を正しく学ぶことを次世代に引き継いでいく平和教育の大切さ必要性を痛感しました。
  9日の閉会式は原爆犠牲者の冥福を祈り1分間の黙祷から始まりました。「―核兵器のない世界へ―」と題して海外代表、各界各層、全国草の根の活動をしている方々の発言・決意がのべられました。そしてこの原水爆禁止2001年世界大会からの手紙「核兵器廃絶・全面禁止条約の協議・交渉を速やかに開始すること」を国連及び各国政府機関に送付すること、2001年原水爆禁止世界大会長崎決議「反核・平和運動の新たなうねりを草の根から」を採択しました。
   戦後56年が経ち戦後生まれの世代が人口の約7割に達する一方で被爆者が高齢化し被爆体験の風化が叫ばれています。今大会には多くの女性や若者たちが参加しており平和への情熱とパワーを感じ、若い世代の台頭を頼もしく思いました。前にも述べましたが、大会期間中教科書問題について多くの発言がありました。過去の過ちは過ちとしてきちんと反省し国際社会の承認を得ること、そして過ちを2度と繰り返さない施策をとり、その上で、かつて侵略していった国々と友好な関係を作っていくことは国益に反することでも自虐的なことでもないと思います。戦争賛美で憲法否定の目的を持つ「新しい歴史教科書」を養護学校で採択することは「採択」という実績作りのため障害者教育を利用することで、その姑息な手段は民主主義の観点からも決して許されないことです。

この大会を通して私にできる小さなことはなんだろうかと考えた時、まずは大会の成功を多くの方に伝えることだと思い冗漫になった感はありますが、以上ご報告いたします。

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報告書を書き上げまもなく9.11アメリカでの同時多発テロが起きました。同時多発テロという思いもよらない事件で多くの市民が犠牲となりその報復のための戦争が始まろうとしています。テロは決して許されません。だからといって武力による報復では又罪のない多くの市民が巻き込まれ戦争の犠牲者になります。憎しみは憎しみを生み報復の連鎖は続いていきます。
  日本がすることは後方支援ではなく戦争を起こさせない努力をすることだと思います。私も平和のために自分が出来ることに微力ながら尽力することを改めて誓います。

ひとりごと1

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