ひとりごと23

新聞を読んで

6月13日の毎日新聞の夕刊の一面を見て思わず絶句してしまいました。記事の内容は以下のとおりです。

ひめゆり入試問題

青学高等部長らが元学徒訪れ謝罪へ

青山学院高等部(東京都渋谷区)の今春の入試で、元ひめゆり学徒の証言を「退屈で飽きた」と感じたという内容の架空の英語感想文が出題された問題で、同高等部の大村修文(ただふみ)部長ら4人が13日、謝罪のため元学徒たちが証言活動をしているひめゆり平和祈念資料館(沖縄県糸満市)を訪れた。大村部長は謝罪を前に報道陣に「申し訳ないの一言に尽きます」と語った。

 大村部長のほかに訪れたのは、入試当時の教頭、問題作成にかかわった40歳代の英語教諭と事務職員。4人は午前10時半ごろ、同資料館前にある戦没学徒らの氏名を刻んだ「ひめゆりの塔」に花束をささげ、頭を下げた。午前11時から資料館で本村つる館長ら10人の元学徒と面会し、謝罪した。

 問題となったのは今年2月にあった入試の英文読解。戦争体験を伝えることの難しさを考えさせるのが狙いで、英語教諭が以前に沖縄を訪れた体験をもとに作った。

 入試問題には、沖縄のガマ(壕(ごう))に入った生徒が、元学徒の体験談を聞いたとき「退屈で飽きた。彼女が話せば話すほど、私は防空壕で受けた強い印象を失った」と感じたことが書かれていた。設問では、なぜ生徒が体験談を気に入らなかったかを問い「彼女の話し方が好きではなかったから」の選択肢を正解にしていた。

 元学徒側からは「どのような感想を持っても自由だが、それを入試として出題することがおかしい」「『未来永劫(えいごう)、平和が続きますように』が学業半ばで戦争に巻き込まれた『ひめゆりの心』。こういう問題が出ると今までやってきたことの意味を考え込まざるを得ない」などと反発と戸惑いの声が上がっている。【松藤幸之輔】

 戦争の無残さ、先生が伝えて

 東京大空襲を語り継ぐ活動をしている海老名香葉子さん(71)は「私は悲しい、つらい出来事を自分の体が総毛立つ思いで話している。学校で話すこともあるが、多くの生徒さんが一生懸命、涙を流しながら聞いてくれる」と言う。今回の問題については「あまりにも悲惨だった戦争の悲しみを思う心が、戦後の先生にはないのでしょうか。戦争の無残さ、悲惨さを先生たちが伝えないと平和は守れない。そういう先生がいることは本当に残念」と語る。

 【ことば】沖縄戦とひめゆり学徒隊 1945年3月26日に米軍が沖縄県の慶良間(けらま)列島に上陸、日本軍の沖縄守備軍司令官らが自決し、組織的戦闘が終わったとされる6月23日まで民間人を巻き込む激しい地上戦があった。日本側の死者は軍人、民間人計20万人を超えた。負傷兵の看護に沖縄県立師範学校女子部と同第一高等女学校の女子学生らが加わり、両校のシンボル白百合と乙姫から「ひめゆり学徒隊」と呼ばれた。戦闘では引率教師を含む200人以上が犠牲になった。

―毎日新聞2005年6月13日夕刊より―

 

戦後60年経ち、戦争を体験してきた世代が高齢化してきています。修学旅行生が訪れる広島、長崎で沖縄で「語り部」として多くの被災者の方たちがご自分の戦争体験を語って下さっています。誰でもつらい過去は封印し忘れてしまいたいと思うもの。それをあえて語ってくださるのは戦争の愚かさと平和の尊さを次の世代に伝えたいとの強い思いからだと思います。私たちは話を聴くことでその何十分の一かでも追体験し、平和のありがたさを改めて感じることができるのです。

「多くの生徒さんが涙を流しながら聞いてくれる。」海老名さんが言われていますが、以前原水禁平和大会に長崎に娘と行ったとき、フィールドワークで爆心地を回り語り部の方から話を伺い当時中学2年生だった娘が帰宅してすぐレポート用紙何枚にもわたりその時見て聴いて感じたことを一気に書き上げました。感じることがあったのでしょう。日本では近代史、特に昭和の歴史が「平和」を視点に語られていません。また自国がアジアの国々を侵略してきたことをきちんと教えていません。

子どもたちの感性はやわらかく想像力は豊かです。平和教育の大切さとそれに逆行した行為に謝罪のため訪れたとの記事でしたがことばを失ってしまいます。

教育基本法を改正し愛国心をことさらに強調し、「新しい歴史教科書」で皇国史観、日本を中心とした世界観を植えつけようとする。「教育」を戦前に引き戻そうとする勢力が台頭しています。

「この人達、おかしいよ。何考えていたんだろうね。」娘の言葉に救われる思いです。(20050614


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